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周りを考慮したものではなく、本心を投稿します

オリンピック中止に賛成しない理由

私は東京オリンピックを2021年に開催する事に反対しない。反対する資格が無いと考えている。

 

個人的な感情としては、オリンピックが中止されると嬉しい。他のイベントが中止を強制されている中、オリンピックが例外扱いされるのは不公平だと思う。しかし、中止すべきだという意見を積極的に表明するべきではないと考えている。

 

それは、私がオリンピックが嫌いだからだ。オリンピックがこの世から無くなる事を期待している。開催中に必ず出てくる「昨日のあれ、すごかったよね」という話題が不愉快だ。私の無関心さに対して返される疑問にはうんざりする。「興味の無い理由」という、不毛な疑問を持つ事に対する無意味さに気付かなくなる人間が多すぎる。だから、私はオリンピックの無い世界を望む。

 

つまり、私の感情はコロナとは関係が無い。また、開催派や中止派、延長派の間の議論の中心となる「どれほどオリンピックが重要か」という問題にも関心が持てない。毛ほどの価値も感じられない。冷淡に「科学的に危険である」と言うことは出来るが、利益について判断が出来ない。どれほどオリンピックが例外的な存在であるかを議論出来ない。

 

今回のオリンピック開催に関する賛否は、オリンピックの価値とコロナによるリスクの衝突であり、オリンピックの価値をゼロとする意見には意味が無い。それ故に、私は今回のオリンピックに対する意見を表に出さない。